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大野直子 VS 桝野正博                                                                                                      離反と融合をくりかえす、一枚の詩と、一篇の詩。
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     あなたの声を飲み込む
     声がわたしの暗い気道を降りていき
     赤い肉体に沈む

     テレビを消す
     スーパーを出る
     焦燥からはなれる

     静寂こそが幸せであると知ったとき
     ほほえみながら
     孤独がやって来る

     手のなまあたたかさも忘れて
     雪とナイロンがこすれあう音に
     耳をそばだてている










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それぞれ
 死ぬほどさみしい思いをして、もしも死んだら、そのときもひとりぼっちだろうか。などと想像していると、もしかすると、ひとりぼっちになるために、人と人は微笑んだり肩を寄せ合ったりして暮らしているんじゃないかと思いました。なぜかというと、ひとりぼっちほど、自分を深く感じる時はないなと思うからです。ぼくもひとりが好き。やっぱり大切な時間です。そしてそれは、いつもひとりでいるわけじゃないから思えることなのかもしれません。ああそれと、甘いとか辛いとか、大した問題じゃないと思えるようになりました。それぞれにしか分かり得ない寂しさだもの。
<マ> 2008/02/16(Sat)11:22:54 edit
ひとり
人が大好きなくせに、ひとりも大好き。今日はどこへも行かないで一人でうちに居られると思っただけで、ワクワクしてきます。ほほえみながら孤独と過ごします。でも本当の孤独って、死ぬほど寂しいことなのかもしれませんね。まだそういう経験のない私。甘いですね。でも、ほどほどの孤独なら結構あります。ほどほどでもやっぱり辛くて寂しい。だけど、そういう時間も、私にはとてもたいせつな時間のように思えます。
<な> 2008/02/16(Sat)09:07:37 edit
ほほえみ
 ほほえみながらやってくる孤独、というものに出会えるなら、すぐにでも会いたい。ひとりぼっちはさみしいけれど、孤独もひとりぼっちでやってくる。ほほえんでいる孤独に、ほんとはさみしいんだろってささやいて、ぎゅっと抱きしめてやろう。そしたらぼくのひとりぼっちも、ほほえむかもしれない。
<マ> 2008/02/15(Fri)17:46:17 edit
皮膚で聞く
 耳をそばだてないと聞こえない声がある。もの言わぬ物たちなら、なおさらそうだ。声は音となって聞こえてくるのではないけれど、話しかけているのがほんとうに聞こえるから、ぼくは撮るのだと思う。特別耳をそばだてているわけでは、もちろんない。おそらく放っておいても聞こえているのだ。ぼく自身がそれを認識できないだけで。詩人はだから耳をそばだてて、写真家はだから、代わりに皮膚の細胞を開いておくのだ。目ではなく皮膚だ。声なき声は、振動となって聞こえてくるのだから。傘は、いつも通り過ぎる公園の片隅に見えた。そばまで行ってみたいと感じた瞬間を思い出している。皮膚は震えていただろうか。確かなことはわからないけれど、そんな気がしないでもない。そしてその皮膚感覚は、もしかすると身体の内側の片面で起こっていたのかもしれない。
<マ> 2008/02/13(Wed)22:15:00 edit
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