大野直子 VS 桝野正博 離反と融合をくりかえす、一枚の詩と、一篇の詩。
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月の唇
あれは信州上田から車で20分ほど走った山の中、野倉という数十軒の家が散在する村で見た月だった。満月だったのだろうか。円い月が煌煌と輝いて、見れば誰もが美しいとため息をつきたくなる月だった。ジッと見つめていると、その月がまるで心臓が脈打つように、ドクンドクンと収縮運動をくり返しているのに気づいた。信じられない思いで、何度も目をこすって見直した。月が呼吸をしている、とぼくは思った。以来、ぼくの見る月はいつも脈を打って、生きている。もしかするとそれは近視や乱視のせいかもしれないけれど、唇がわなないているようにも見えなくはない。ぼくなら、食べられてもいいと思うかもしれない。
写真という詩
写真は、詩になりうるか。否、写真全体のことではなく、ぼくの写真の話だ。出会ったものを気ままに撮っているだけのぼくの写真は詩になりうるものか。これからの大きな楽しみになりそうだ。写真にはもちろんメッセージ性はあるだろう。けれども出会いを記録しているだけだとしたら、そこにどんな美しい発見があろうが、深い感動があろうが、撮り手の創造的要素は少ないと言わざるを得ない。ことにぼくの写真は、映っているものが美しいのであって、ぼく自身とそれはなんの関係もないような気がしている。ぼくの心の中をのぞける人がいるなら、あまりの醜さに腰を抜かして、もう二度と近づきたくないと思うかもしれない。そうだ、醜いのだ。ここまで書いて、ようやく気づけた。醜いからこそ、詩になる力を、もしかすると秘めているかもしれないのだと。醜い者は、どこか片隅に美しいものへの憧れを持っている。それがぼくの原動力だ。これなら詩になるかもしれない。「忘却」という詩は、「月と烏」を撮った写真家のことでもあった。
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