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大野直子 VS 桝野正博                                                                                                      離反と融合をくりかえす、一枚の詩と、一篇の詩。
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    気がつくと
    四十六億年の片鱗を宿した眼が
    わたしをじっと視ていた

    そのまなざしは
    やさしさとか慈愛とかいうことを超えた
    ただひたすらまっすぐな視線
    わたしの濁った血液まで見透かしてしまいそうな凝視に
    たじろいだ

    わたしは十本の足指をくさびにして立ち
    たった五十年の
    屈折だらけの視線を送り返してやった



















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入り口
 なるほどと、深く頷いてしまった。太古の眼に感応する瞬間があるなら、ぼくもこの人生でせめて一度ぐらい体験したいと憧れた。「眼」もまたすごい詩。なんだかうれしいような悔しいような不思議な感動を覚える。何げなく出会う身近な風景が、ときどき底知れぬ世界への入り口のように感じることがあるけれど、この詩を読んで、納得できた。それがうれしい。そして納得させられたことが、悔しい。人生とか慈愛とか、はたまた宇宙とかに、ぼくは納得していたくない。死ぬまでさまよいつづけていたい。生きることは、散歩のようだ。道草して、そして時々はっとするような視線に出会ったりする。それにしてもたとえ屈折していても、意志のある視線を返す詩人は大したものだ。ぼくが見つめられたなら、きっとその入り口でたじろいだまま萎縮しているかもしれない。
<マ> 2008/03/05(Wed)05:58:26 edit
造形の力
 ほんとうは白と黒じゃないことぐらい色弱のぼくにもわかるけれど、白と黒だと感じて撮った。むかし白黒のフィルムをつめて散歩していたころを思い出す。あのころは世の中が白黒のモノトーンに見えた。色へのコンプレックスがあったせいかもしれない。色なんかない方がいいのにとさえ思っていた。だってその方が、見えるものの力強さがわかるじゃないか。今朝出会ったこの溝のような原っぱの造形も、なんだかとってもたくましくて、それでいてほれぼれするほどに美しいと思った。
<マ> 2008/02/29(Fri)17:32:11 edit
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