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大野直子 VS 桝野正博                                                                                                      離反と融合をくりかえす、一枚の詩と、一篇の詩。
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         孤 独


     わたしの中のケモノよ
     わたしはどうやってオマエと生きよう
     なにをご馳走してオマエを満足させよう

     昨日は
     詩を頬ばったね
     今日は
     夕日入りのスープを飲んだね
     明日は
     闇なんか茹でて ぎゅうっとしぼって
     おひたしにでもしようか

     わがままなケモノよ
     けっしてわたしに飼い慣らされるな
     はげしさを失うな
     さびしがりやのオマエよ
     いつまでも迷路みたいな左脳に隠れていなさい
     どんなにわたしがからまわりしても
     冷たい指を持ちつづけなさい
     そして時には
     ぶわりと唇をたわませて
     世界を飲み込んでしまいなさい

     光さえ届かない湖で
     水浴びをしているケモノよ
















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         肉 声


     苦悩ぶったことばなんかいらない
     たましいの声もいらない
     聴きたいのは
     ひと切れの肉声なんだ

       ケーン
       ケーン
       伐採がすすむ防風林で
       キジが断末魔のような声をあげる
       一番星とキジの鳴き声が
       夜の入り口の空に氷る

     安穏な人生でも叫びたいんだよ
     つぶやきでもいいんだ
     みぞおちのあたりが
     たしかにすこし痛むんだよ

        ケーン
        ケーン
        ブルドーザーで
        離れ離れにされてしまったキジの親子が
        工場用地をはさんで存在を確かめ合う

          かあさんが死んだとき
          わたしはほんとうの一人になりました
          はじめて世界に産み落とされました

     蒼い防風林を歩く
     ケーン と
     喉をしぼってみる







         沈 黙


      風が鳴る四月
     雑木林ははじめて自分の最期に気づいた
     吸わない音 除けない砂
     トビたちが止まるむきだしの枝先
     てんでんばらばらの方向に傾く木立

     サーファーたちがいくらうねっても
     砂浜に現れたショッピングモールが真夜中を照らしても
     陽光が降り注いでも
     ニセアカシアは芽吹かない

     ニセアカシアの寿命はおよそ五十年
     内灘闘争が終わって五十一年

       あたしったら
       死にかけているのね

     だが おまえの死に暗さはない
     試射場ドームに描かれていた淫靡な落書きもない
     すえた臭いもない
     去勢されたようなショッピングモールは浜を背にして建ち
     荒波をけっして見ようとしない
     砲弾が行き交ったこともある細長い海岸線には
     ただ春が透けているだけだ

     奥行のないまちが
     骸骨のような林に抱かれている



















         は る


     うす桃色の花が咲いた真昼
     コンクリートの家はやさしくなった

     ため息をぜんぶ春風に吸わせた
     水道管がぬるんで
     排水溝が歌う
     ベランダのふとんが太る
     アンテナが輝く
     アパートはほんのりうすべに

     学校帰りのこどもは
     あたたかいドアノブを握る



















       捜 索


     くちびるが遁走したまま帰ってこない
     口が消えて以来
     なにも話せないでいる

     歩いていたら
     やわらかいものに跳ねかえされた
     あ、この感触 わたしのくちびる
     と思ったら
     梅のかおりのかたまりだった
     春は
     沈丁花
     もくれん
     桜
     匂いのゴム風船が
     ぶわり ぶわり 浮いている

     ひとつ覚えの非難のくちびる
     どうせ
     ラッパ水仙にでも当てられて
     春の精気が湧きあがってくる
     ツクシの土手あたりで
     ひっくりかえっているんだろう

















     背 中


     八十を超えた母のひとり言は
     「おかあちゃん」
     だった
     よぼよぼのおばあさんが
     三十二で逝った若いおかあさんに
     誰もいないところで
     そっと甘えていたのだ
     そんな母に
     五十を超えたむすめが
     今も甘えている
     弱々しい背中に負ぶわれている
     小さな哀しみが醤油ジミみたいに
     ポチンとある日
     むしょうに
     母の背中で揺られたくなる





















      みさき


     まぶたを薔薇色に腫らせて
     ぼくを見て
     と おまえが言う
     空と海をかきまぜる地球
     見つめられたかったわたしが
     おまえを見つめている
     両手をひろげて包みこんでいるわたしが
     おまえに包まれている






















・・・・・・・・

 

   




      ブランコ


    弧のいちばん高いところに
    忘れ物をしてきたままだ
    あのころ
    空は墜ちるためにあった
    地平線が右に左にかしいだ
    時間が止まった

      オマエは
      引き戻されるときの
      あの快感を
      忘れてしまったのかい

    おとなになるとは
    三半規管を眠らせることだろうか
    生活とは
    コップの水をこぼさぬように歩くことだろうか

    でもわたしは気づいている
    耳の奥ではまだ
    鎖がきしんでいることを
    たわむ軌道も
    鉄の臭いも
    ちゃんと覚えている

      ブーンと放ってよ
      ブーンとからだごと

    空がひらく




















      湖 底     



    行き場のない思いが
    わたしの裂け目に湖をつくる
    藻が
    神経のようにふるえている湖だ
    複雑に気持ちが屈折して
    透明度はない
    ユズリハの影
    ことばになるまでの時間
    みにくい泥
    無音
    が沈殿している

    ときどき石を投げ込んでは
    深さを聴く






















      孵 化(ふか)



    おなかの底に
    たまごを一つ孕んでいる
    日に日にわたしを占領していくたまご

    褒められるとギラギラてかる
    父にいじわるを言うと冷たさを増す
    ほんとうの苦悩も知らないくせに頑なになる

    膨張しつづける体積
    あいまいになっていく輪郭

     産み落とす日は
     いつだろう

    きょうも体重計に乗って
    たまごの重量を測る




















      



        


     あなたの声を飲み込む
     声がわたしの暗い気道を降りていき
     赤い肉体に沈む

     テレビを消す
     スーパーを出る
     焦燥からはなれる

     静寂こそが幸せであると知ったとき
     ほほえみながら
     孤独がやって来る

     手のなまあたたかさも忘れて
     雪とナイロンがこすれあう音に
     耳をそばだてている










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